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松山地方裁判所 昭和55年(ワ)488号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告吉良昌子(以下、「被告昌子」という。)は、原告檜垣薫(以下、「原告薫」という。)に対し金八七八万三八七〇円及び原告檜垣正幸(以下、「原告正幸」という。)に対し金一七二万五〇〇〇円並びにこれらに対する昭和五四年七月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告吉良敏彦(以下、「被告敏彦」という。)、被告吉良邦彦(以下、「被告邦彦」という。)及び被告吉良須美子(以下、「被告須美子」という。)は各自、原告薫に対し金三九〇万三九四二円及び原告正幸に対し金七六万六六六六円並びにこれらに対する昭和五四年七月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告戸部慧子(以下、「被告慧子」という。)は、被告昌子、被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子と連帯して、原告薫に対し金二九二万七九五七円及び原告正幸に対し金五七万五〇〇〇円並びにこれらに対する昭和五四年七月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 亡吉良猛(以下、「亡猛」という。)は、産婦人科専門の病院である吉良病院を経営し、その院長を務める医師である。亡吉良富士彦(以下、「亡富士彦」という。)は、亡猛から吉良病院に雇用され、その副院長を務める医師である。

(二) 原告薫は、昭和五〇年三月二六日原告正幸と婚姻し、同年一一月一〇日長女かつらを出産し、同五三年一〇月ころ第二子を妊娠した。

2  事件の経過

(一) 原告薫は、昭和五三年一〇月ころ初めて吉良病院で診療を受けたところ、第二子の妊娠及びその出産予定日が同五四年七月一五日であることを告げられ、第二子の出産を吉良病院で行うこととし、同年一一月にも同病院で診察を受けたが、いずれの診察においても妊娠につき異常がないとのことであった。

(二) 原告薫は、昭和五四年六月に入って亡富士彦の診察を受け、また同月一六日には転んで腰を打ったことから心配になって亡富士彦の診察を受けたが、いずれの診察においても胎児及び母体につき何らの異常もなく、亡富士彦から「赤ちゃんがおなかの中で動かなくなったり、異常な出血などがあれば来てください。」と指示されただけであり、亡富士彦は、原告薫に妊娠中毒の兆候があるとか、貧血気味であるとかの認識を有しておらず、したがって原告薫に対しそのことにつき何らの指示もしていない。

(三) 原告薫は、昭和五四年七月一七日午前七時ころ少量の出血をみたので、吉良病院に連絡したうえ、同日午後一時三〇分吉良病院に入院した。原告薫は、同日午後二時すぎ尾海幹枝婦長の内診を受け、尾海幹枝婦長から、「すぐお産にはならないが、予定日が過ぎていることから、人工的に分娩を誘発するか、それとも自然に陣痛が来るのを待つか。」と尋ねられたので、陣痛が起こるように処置してくれるように頼んだ。

(四) 原告薫は、その後浣腸及び皮下注射を受け、同日午後三時ころ亡富士彦から病室にて、一六〇ないし一七〇シーシーの生食水を注入した一五〇シーシーのブラウン型メトロイリンテルを子宮腔内に挿置するメトロイリンテル挿入法の処置を受けた。ところが、多くの場合陣痛が発来するメトロイリンテル挿入後一ないし二時間を経過しても、原告薫には陣痛が発来せず、尾海幹枝婦長は、同日午後五時ころメトロイリンテルを引っ張って脱出させた。メトロイリンテル脱出時の子宮口開大はせいぜい二指(約四センチメートル)であった。

(五) 原告薫は、同日午後五時三〇分ころ分娩室にて、陣痛促進のため陣痛誘発促進物質であるオキシトシンを含む薬剤であるアトニンOの点滴二五〇シーシーを右腕に受けた。原告薫は、同日午後六時ころ分娩第一期(開口期)を示す間隔は長く軽い痛みが始まった。原告薫は、同日午後六時三〇分ころ陣痛の間隔が短く、痛みも強くなった。

(六) 亡富士彦は、同日午後七時三〇分ころ原告薫の分娩室を訪れ、内診もしないで、看護婦二名に対し、クリステレル胎児圧出法を指示し、午後七時四〇分ころ看護婦二人が原告薫の腹部を両手でもって足元方向に「エイ、エイ。」と声を掛けて強く押す右胎児圧出法が開始された。原告薫は、その際、「おなかを押すというようなことをされたら死んでしまう。」と大声で叫んだが、亡富士彦から「うちでは誰にでもしているのだから、我慢しろ。」と注意を受け、右胎児圧出法が続けられた。原告薫は、痛さと恐怖感で、二人の看護婦を振りほどいたほどであったが、亡富士彦は「こらえ性がない。これぐらい誰でもしている。」と注意し、看護婦に押すことを命じて、再び右胎児圧出法を実行した。

(七) 原告薫は、右胎児圧出法によりその子宮を不全破裂させられ、そのため陣痛の痛みとは異なった持続的な痛みを感じるようになった。亡富士彦は、その後聴診器で原告薫の腹部を聞いていたが、原告薫に対し胎児が死亡したことを告げた。また、亡富士彦は、そのころ分娩室前にいた原告正幸に対しても胎児が死亡したことを告げた。

(八) 原告薫は、胎児が死亡したことを知ったことから、落胆し、全身の力も抜け、亡富士彦から「いきみなさい。」と指示を受けたが、いきむ力も出なかった。原告薫は、休みない痛みが続いて辛くなったので、亡富士彦に対し「死んだ子供をこんなに辛い思いをして出さなくても、帝王切開で出してください。」と頼んだが、亡富士彦は「帝王切開の手術の準備に一時間かかるから、一時間も死んだ子供をお腹に入れて辛い目をするより、下からいきんで出したら五分もかからんのだから、いきめ。」と何回も指示するばかりであった。

(九) 亡富士彦は、胎児を分娩により娩出させようとしたが、原告薫に陣痛がなくまたいきむこともできないので、鉗子分娩にて死児を娩出させることを決意し、同日午後八時すぎころ原告正幸に対し「奥さんは帝王切開を希望しているが、帝王切開には一時間くらいかかる。それで鉗子分娩で出すが、そうすると赤ちゃんの顔がつぶれるけれども、奥さんが早く楽になるから了承して欲しい。」と話し、原告正幸もこれを了承した。亡富士彦は、同日午後八時三〇分から四〇分ころにかけて原告薫の腹部を押しつつ、死児を鉗子分娩にて娩出した。その際、死児の娩出であるために、鉗子の扱いは死児の顔が潰れるほど暴力的であり、そのため原告薫の子宮が全破裂するに至った。

(一〇) 原告薫は、その後全身がますますだるくなり、手足も冷たくなって息苦しくなった。原告薫は、同日午後九時三〇分ころ意識を失った。原告薫は、同日午後一一時三〇分ころ破裂した子宮を摘出するためにポロー手術を受け、その際、大量の輸血を受けたために血清肝炎に罹患した。

3  診療契約

原告薫は、昭和五四年七月一七日、亡猛との間で、原告薫の出産を介助し、適切な医療措置を講ずることによって母子ともに健全に出産を全うせしめる旨の診療契約を締結した。

4  亡富士彦の過失又は債務不履行

亡富士彦は、原告薫に対する医療措置を直接担当した医師として、以下に記載のとおりの義務があるにもかかわらず、これを怠った過失又は債務不履行がある。

(一) クリステレル胎児圧出法の要約違反

(1) クリステレル胎児圧出法の要約の一つとして、子宮口が全開大していること及び胎児の先端部分が深く骨盤腔に入っているか又は排臨の状態にあることをそれぞれ要し、右子宮口の全開大とは子宮頸管の内径が一〇センチメートルを超えただけでなく、児頭が右頸管から出て直接膣内にある状態をいうものとされており、医師は、右胎児圧出法の施術をするにあたっては、右胎児圧出法が子宮破裂を起こす危険性のあるものだから、周到な観察をしたうえ産婦が右要約を満たしているかどうかを確認し、これが欠けていれば右胎児圧出法の施術をしてはならないというべきところ、原告薫の分娩においては児頭の下降が悪い状態であって胎児の先端部分が深く骨盤腔に入っておらずまた排臨の状態にもなっていなかったから、医師としては回旋異常がないかなどの検討をし右要約を満たしていることを確認したうえで施術すべきであるにもかかわらず、亡富士彦は、右要約を満たしていないのにこれを確認せずに、原告薫に対し右胎児圧法を施術した。

(2) また、クリステレル胎児圧出法の施術は子宮破裂を起こす危険性のあるものだから、医師は、右胎児圧出法の施術をするにあたっては、慎重にこれをしなければならず、暴力的に妊婦の腹部を押してはならないにもかかわらず、亡富士彦は、看護婦二名に原告薫の腹部を急激に何回も圧迫させた。

(二) 鉗子分娩の要約違反

(1) クリステレル胎児圧出法により子宮不全破裂が生じていた場合

鉗子分娩の要約の一つとして、胎児が生きていることを要するものとされており、鉗子分娩をするにあたってはその要約を満たしたうえで施術すべきであるところ、クリステレル胎児圧出法により原告薫に生じた子宮不全破裂によって胎児が死亡しているので、このような場合、医師としては鉗子分娩をしてはならないにもかかわらず、亡富士彦は原告薫に対し、死亡した胎児を鉗子分娩の方法により暴力的に娩出させた。

(2) クリステレル胎児圧出法により子宮不全破裂が生じていなかった場合

かりにクリステレル胎児圧出法により原告薫の子宮が破裂したものではないとしても、子宮切迫破裂状態にある患者に対して胎児圧出あるいは鉗子分娩をすることは禁忌とされているところ、原告薫は鉗子分娩前に子宮切迫破裂の状態にあったのだから、医師としては鉗子分娩をしてはならないにもかかわらず、亡富士彦は、原告薫に対し、胎児圧出法及び鉗子分娩をそれぞれ施術した。

5  亡富士彦の過失ないし債務不履行と原告薫の受傷との因果関係

(一) クリステレル胎児圧出法により子宮不全破裂が生じていた場合

(1) クリステレル胎児圧出法と子宮不全破裂との因果関係

亡富士彦が前記4記載の過失ないし債務不履行により施術したクリステレル胎児圧出法によって原告薫の子宮が不全破裂を起こしたものである。なぜなら、分娩時の子宮破裂の原因としては人為的操作を加えないのに自然に子宮破裂を起こした場合(自発子宮破裂)と産科手術の際に腹部に外力が加えられたために子宮破裂を起こした場合(加害子宮破裂)があるが、原告薫には自発子宮破裂の原因となる事由はなく、原告薫の子宮破裂は自発子宮破裂ではないから加害子宮破裂としか考えられないこと、クリステレル胎児圧出法は要約を満たさずにこれを施術すると子宮破裂の危険があるとされているところ、前記のとおり亡富士彦は右要約を満たしていない原告薫に対し右胎児圧出法を施術したこと、子宮破裂を起こすと、激しい腹痛を覚えるとともに陣痛が消失ないし軽快するとされているところ、原告薫は右胎児圧出法が施術された後に陣痛が消失するとともに陣痛とは異なる継続した痛みを感じるようになったこと、前記2記載のとおり胎児が右胎児圧出法の施術後に死亡しているが、その原因としては子宮破裂以外には考えられないこと、子宮が全破裂すると患者の一般状態は急激に悪化してショック状態になるとされるところ、原告薫は鉗子分娩後にショック状態となっているが、それ以前にはそのような症状にはなかったこと及び原告薫の子宮下部には横方向と上下方向の二箇所に破裂があり、子宮破裂が二度生じたと考えられることなどからして、右のように考えるべきである。

(2) 子宮不全破裂と胎児の死亡との因果関係

亡富士彦の前記4記載の過失ないし債務不履行により原告薫の子宮が不全破裂を起こしたことによって胎児が死亡したものである。なぜなら、前記のとおり亡富士彦が原告薫に対して施術したクリステレル胎児圧出法により原告薫の子宮が不全破裂を起こしたものであること、胎児は右胎児圧出法の施術後鉗子分娩前に死亡しており、亡富士彦も原告らに対し右胎児圧出法の施術後鉗子分娩前に胎児が死亡したことを原告らに告げていること、子宮破裂が生じると羊水及び胎便等が腹腔内、腹膜下に排出され、子宮は収縮し、胎盤が剥離するため、胎児の死亡率が九〇パーセント以上と極めて高いこと及び子宮破裂の外に胎児の死亡する原因がないことなどからして、右のように考えるべきである。

(3) 鉗子分娩と子宮全破裂との因果関係

亡富士彦が原告薫の子宮が不全破裂を起こして胎児が死亡した後に原告薫に対して前記4記載の過失ないし債務不履行により行った鉗子分娩によって原告薫の子宮が全破裂し、右子宮を摘出せざるを得なくなるとともにそのための手術の際に行われた輸血により原告薫が血清肝炎に罹患したものである。なぜなら、子宮が全破裂すると患者の一般状態は急激に悪化してショック状態になるとされるところ、原告薫は鉗子分娩後にショック状態となっていること、原告薫の子宮下部には横方向と上下方向の二箇所に破裂があり、子宮破裂が二度生じたと考えられること及び右鉗子分娩は、死児を子宮から取り出すために行われたもので、胎児の頭蓋骨が砕けるほど暴力的に行われたものであることなどからして、右のように考えるべきである。

(二) クリステレル胎児圧出法により子宮不全破裂が生じていなかった場合

(1) 鉗子分娩と子宮全破裂との因果関係

かりにクリステレル胎児圧出法により原告薫の子宮が破裂したものではないとしても、クリステレル胎児圧出法の施術によって原告薫の子宮は切迫破裂の状態にあったにもかかわらず、亡富士彦が原告薫に対し前記4記載の過失ないし債務不履行により胎児圧出法及び鉗子分娩をそれぞれ施術したため、原告薫の子宮が破裂するに至り、右子宮を摘出せざるを得なくなるとともにそのための手術の際に行われた輸血により原告薫が血清肝炎に罹患したものである。

(2) 子宮全破裂と胎児の死亡との因果関係

胎児は、亡富士彦が原告薫に対して前記4記載の過失ないし債務不履行により行った鉗子分娩による子宮破裂によって、死亡したものである。なぜなら、子宮破裂が生じると羊水及び胎便等が腹腔内・腹膜下に排出され、子宮は収縮し、胎盤が剥離するため、胎児の死亡率が極めて高いこと及び子宮破裂の他に胎児の死亡する原因がないことなどからして、右のように考えるべきである。

6  原告の損害

原告薫は、亡富士彦の前記4記載の過失行為ないし債務不履行により原告薫の子宮が破裂し、胎児が死亡し、原告薫が血清肝炎に罹患したため、以下のとおり合計一七五六万七七四〇円の損害を被り、原告正幸は、亡富士彦の前記4記載の過失行為により胎児が死亡したため、以下のとおり合計三四五万円の損害を被った。

(一) 胎児の死亡についての慰謝料

(原告薫六〇〇万円・原告正幸三〇〇万円)

原告らは、胎児の死亡により親として第二子誕生の期待を裏切られ、甚大な精神的苦痛を被った。その慰謝料としては原告薫に対し六〇〇万円及び原告正幸に対しては三〇〇万円がそれぞれ相当である。

(二) 子宮の摘出についての損害

(原告薫八三六万円)

原告薫は、子宮破裂によって子宮摘出という身体傷害を受け、永久に子供を産めない身体になってしまった。その身体傷害そのものについての損害及びそれによる精神的苦痛を考慮すると、右子宮摘出についての損害としては八三六万円が相当である。ちなみに、政府の自動車損害賠償保障事業損害てん補基準によれば、両側の睾丸喪失が後遺障害等級第七級に該当するものとされており、その保険金額は八三六万円である。

(三) 血清肝炎の罹患等についての損害(原告薫九五万七七四〇円)

(1) 吉良病院での治療費(二八万五〇〇〇円)

原告薫は、血清肝炎に罹患したことにより、昭和五四年七月一七日から同年八月二日まで吉良病院に入院して治療を受けたところ、その費用は二八万五〇〇〇円であるから、同額の損害を被った。

(2) 高山内科での治療費(一二万八三四〇円)

原告薫は、血清肝炎に罹患したことにより、昭和五四年九月一日から同年一〇月二九日まで高山内科に入院して治療を受けたところ、その費用は一二万八三四〇円であるから、同額の損害を被った。

(3) 入院諸雑費(四万四四〇〇円)

原告薫は、吉良病院及び高山内科にそれぞれ入院していた合計七四日間につき、一日あたり六〇〇円の入院諸雑費を要したから、右七四日に右六〇〇円を乗じた四万四四〇〇円の損害を被った。

(4) 入院についての慰謝料(五〇万円)

原告薫は、吉良病院及び高山内科にそれぞれ入院したことによって精神的苦痛を被った。その慰謝料としては五〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用(原告薫二二五万円・原告正幸四五万円)

(1) 原告薫は、財団法人法律扶助協会東京支部の法律扶助を受け、本件訴訟の提起にあたって同支部から原告代理人に対し訴訟費用実費の概算として二万円及び弁護士手数料七万円の合計九万円の立替払いを受けるとともに、事件完結後速やかに右立替金を同支部に返還しかつ成功の程度に応じて法律扶助審査委員会の認定した報酬額を同支部を通じて原告代理人に支払う旨の約定で本件訴訟の提起及び遂行を原告代理人に委任した。被告らの債務不履行ないし不法行為と相当因果関係にある原告薫が被った損害としての弁護士費用は前記(一)ないし(三)記載の損害額合計一五三一万七七四〇円の一割五分である二二五万円が相当である。

(2) 原告正幸は、失職中のため、着手金は事件完結後報酬額とともに支払う旨の約定で本件訴訟の提起及び遂行を原告代理人に委任した。被告らの債務不履行ないし不法行為と相当因果関係にある原告正幸が被った損害としての弁護士費用は前記(一)記載の損害額合計三〇〇万円の一割五分である四五万円が相当である。

7  亡猛と亡富士彦の責任

(一) 亡猛は、その雇用している亡富士彦がその業務の執行につき前記4記載の過失行為により原告らに対し前記5記載の傷害を加えて前記6記載の損害を被らせたのであるから、原告らに対し民法七一五条(使用者責任)に基づき右損害を賠償する責任を負い、又は前記3記載の診療契約の原告薫に対する債務を履行するにあたり履行補助者として使用している亡富士彦の前記4記載の債務不履行により原告薫に対し前記5記載の傷害を加えて前記6記載の損害を被らせたのであるから、原告薫に対し民法四一五条(債務不履行責任)に基づき右損害を賠償する責任を負う。

(二) 亡富士彦は、前記4記載の過失行為により原告らに対し前記5記載の傷害を加えて前記6記載の損害を被らせたのであるから、原告らに対し民法七〇九条(不法行為)に基づき右損害を賠償する責任を負う。

8  亡猛、亡富士彦及び亡吉良滋(以下、「亡滋」という。)の死亡と被告らの相続

(一) 亡富士彦が昭和五八年一〇月一四日死亡し、同人の妻である被告昌子が前記7記載の損害賠償債務の二分の一を、同人の実子である被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子がそれぞれ右損害賠償債務の各六分の一ずつをそれぞれ相続した。

(二) 亡猛が昭和五九年三月二〇日、同人の妻である亡滋が同六三年八月二〇日にそれぞれ死亡し、右両名の実子である被告昌子及び被告慧子がそれぞれ前記7記載の損害賠償債務の各六分の一ずつを、また亡猛及び亡滋の養子でありかつ右両名の養子であった亡富士彦の実子である被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子がそれぞれ右損害賠償債務の各九分の二ずつをそれぞれ相続した。

よって、原告薫は、被告昌子に対し不法行為に基づく損害賠償として八七八万三八七〇円及びこれと連帯して使用者責任あるいは前記3記載の診療契約の債務不履行に基づく損害賠償として二九二万七九五七円、被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子に対しそれぞれ使用者責任あるいは右診療契約の債務不履行に基づく損害賠償として三九〇万三九四二円及び右使用者責任と連帯して不法行為に基づく損害賠償として二九二万七九五七円及び被告慧子に対し使用者責任及び右診療契約の債務不履行に基づく損害賠償として二九二万七九五七円並びにこれらに対する不法行為の日の後である昭和五四年七月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。また、原告正幸は、被告昌子に対し不法行為に基づく損害賠償として一七二万五〇〇〇円及びこれと連帯して使用者責任に基づく損害賠償として五七万五〇〇〇円、被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子に対しそれぞれ使用者責任に基づく損害賠償として七六万六六六六円及びこれと連帯して不法行為に基づく損害賠償として五七万五〇〇〇円及び被告慧子に対し使用者責任に基づく損害賠償として五七万五〇〇〇円並びにこれらに対する不法行為の日の後である昭和五四年七月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実のうち、原告薫が吉良病院で診察を受けたところ、第二子の妊娠及びその出産予定日が昭和五四年七月一五日であることを告げられたこと並びに妊娠につき異常がなかったことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。原告薫は同五三年一一月二一日吉良病院に初来院し、その際診察した亡富士彦が原告薫に対し毎月一回定期検診に、また妊娠後半に入ると毎月二回それぞれ来院するように指示したが、原告薫は同五四年六月まで来院しなかった。

同2(二)の事実のうち、原告薫が同年六月に入って亡富士彦の診察を受け、また同月一六日には転んで腰を打ったことから心配になって亡富士彦の診察を受けたが、いずれの診察においても胎児及び母体につき何らの異常もなかったことは認めるが、亡富士彦から「赤ちゃんがおなかの中で動かなくなったり、異常な出血などがあれば来てください。」と指示されただけであったことは否認する。原告薫は、同月六日に妊娠九ヶ月でやっと来院し、亡富士彦から妊娠一〇ヶ月に入ると七日ないし一〇日に一度は定期的に検診に来るように指示を受けたにもかかわらず、これに従わなかった。

同2(三)の事実は認める。

同2(四)の事実のうち、原告薫がその後浣腸及び皮下注射を受け、同年七月一七日午後三時ころ亡富士彦から病室にて一五〇シーシーのメトロイリンテルを子宮腔内に挿置するメトロイリンテル挿入法の処置を受けたこと及び原告薫には陣痛が発来しなかったことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。尾海幹枝は子宮腔内から膣内に自然脱出していたメトロイリンテルを除去したにすぎない。また、亡富士彦が午後三時ころ原告薫を内診したときには子宮口は一指を通じる程度であったが、メトロイリンテル脱出時に原告薫を内診したときには子宮口は三横指まで開大していた。そこで、亡富士彦は人工破膜を行った。

同2(五)の事実のうち、原告薫が同日午後五時三〇分ころ尾海婦長から分娩室にて点滴を右腕に受けたこと、原告薫に同日午後六時ころ間隔は長く軽い痛みが始まったこと及び原告薫の陣痛が同日午後六時三〇分ころその間隔が短く、痛みも強くなったことはいずれも認めるが、点滴が陣痛促進のためであること及び二五〇シーシーであることはいずれも否認する。点滴は分娩誘発のためであり、その量は五〇〇シーシーである。なお、右点滴にはラクテックG五〇〇シーシーとアトニンO五単位を混入していた。亡富士彦が同日午後六時三〇分ころ原告薫を内診すると、子宮口が殆ど全開大となっていた。そこで、亡富士彦は、原告薫に鼻腔カテーテルによる酸素吸入を施して原告薫自身での腹圧を加えさせたが、原告薫が亡富士彦や助産婦の指示に従わずに努責もしないため、分娩が進行せず、児頭が下降しない状態が続いた。

同2(六)の事実のうち、亡富士彦が同日午後七時三〇分ころ原告薫の分娩室を訪れたこと及び看護婦二名に対しクリステレル胎児圧出法を指示し、午後七時四〇分ころ看護婦二人が原告薫に対し右胎児圧出法を開始したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

同2(七)の事実は否認する。

同2(八)の事実のうち、原告薫が辛くなったので亡富士彦に対し「死んだ子供をこんなに辛い思いをして出さなくても、帝王切開で出してください。」と頼んだが、亡富士彦が「帝王切開の手術の準備に一時間かかるから、一時間も死んだ子供をお腹に入れて辛い目をするより、下からいきんで出したら五分もかからんのだから、いきめ。」と何回も指示するばかりであったことはいずれも否認する。

同2(九)の事実のうち、亡富士彦が同日午後八時三〇分ころ死児を鉗子分娩にて娩出したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、同日午後八時二〇分ころ排臨近くなったが、その後分娩が進行しないので、亡富士彦はやむを得ず吸引分娩をした。ところが、それでも児頭が下降しないばかりか、胎児の心音が聴取しにくくなってきたので、亡富士彦は急いで原告正幸を呼んで事態の説明をし、心音が悪化した現状では鉗子分裂で急速な経膣分娩を図らないと胎児の生命に危険がある旨を告げ、同人の了承を得て鉗子分娩を行ったものである。したがって、亡富士彦は、胎児が未だ助かるかもしれないと思いながら、同日午後八時四二分胎児を鉗子により娩出させて、直ちに蘇生術を施したが、蘇生せず、救命できなかった。

同2(一〇)の事実は認める。

3  同3の事実のうち、母子ともに健全な出産を全うせしめるとの事実は否認し、その余は認める。医師がそのような結果の成功を約束することは不可能を請け負うことであり、結果の成功を含めて契約したものと解するのは不合理である。

4  同4は争う。

同4(一)(1)の亡富士彦がクリステレル胎児圧出法をすべきでなかったとの主張は争う。右胎児圧出法には、母体と胎児の状態、陣痛の発生状況及び分娩の進行状況によりその時期に応じた胎児圧出法があり、また医師、助産婦及び看護婦の体力及び腕力に応じた方法が採られ、単に触る程度のものから男性がかなり力を入れてするものもあるので、実際の分娩では子宮口が全開大で排臨の状態でなければ右胎児圧出法をしてはならないということはなく、それに近い時点で施術しても良く、それは医師の裁量の範囲内である。

同4(一)(2)の亡富士彦が指示した右胎児圧出法が暴力的であったことは否認する。亡富士彦が試みさせた胎児圧出法は教育を受けた看護婦が陣痛発作に合わせて「じわー」と子宮底を押すものであり、「エイエイ」と掛け声を掛けたりするものではない。

同4(二)の亡富士彦が鉗子分娩を施術すべきでなかったとの主張は争う。亡富士彦が原告薫に対し鉗子分娩を施術したのは、胎児心音聴取不能となり、一刻も早く胎児を娩出させないと母体の生命に危険があると診察されたからであり、その措置は必要かつ適切なものであった。また、生きた胎児を鉗子分娩により娩出させるだけではなく、死児を鉗子により娩出させることもあり、その場合は母体を救命しまた早く楽にするためであって、鉗子分娩するか否かは医師の裁量の範囲内である。

なお、亡富士彦は、原告薫の子宮破裂の手術のために二〇〇シーシーの保存血一三本及び二〇〇シーシーの新鮮血六本を輸血に用いたが、子宮破裂による出血性ショックには大量の輸血が必要であり、右輸血は原告薫の救命のためにはやむを得ない量であって、術後血清肝炎予防のグロブリンも注射しているから、亡富士彦の診療行為は極めて適切であり、何らの手落ちもない。

5  同5は争う。

同5(一)のクリステレル胎児圧出法により原告薫の子宮が破裂したことは否認する。亡富士彦は右胎児圧出法の施術を多数経験しているが、未だに一度もこのために子宮破裂を起こしたことはない。また、子宮破裂の原因には原告らが主張するもの以外に、母体の状態、胎盤と胎児との関係等さまざまなものが考えられ、原告薫の子宮が破裂した原因が右胎児圧出術によるものとは断定できない。さらに、子宮不全破裂と子宮全破裂とは、用語としては区別されても、実際にはどちらも一つの結果として瞬時に起こるものであって、子宮不全破裂から子宮全破裂に移行したり、子宮不全破裂の後に更に強い力が加わって子宮全破裂になったりするものではない。かりに、右胎児圧出法により子宮破裂が生じたとしても、その施術時点で胎児を娩出させる必要があったので、やむを得ない行為であるから、不可抗力である。

同5(一)及び(二)の各(2)の胎児が子宮破裂により死亡したことは否認する。胎児は、分娩時に陣痛等の分娩のための力が加わり、臍帯が引っ張られたり圧迫されたりして異常が増幅され血行障害をきたし、窒息死したものであって、臍帯過捻転がその死亡原因である。

同5(一)(3)及び(二)(1)の鉗子分娩により子宮が破裂したことは否認する。子宮破裂の原因には原告らが主張するもの以外に、母体の状態、胎盤と胎児との関係等さまざまなものが考えられ、原告薫の子宮が破裂した原因が鉗子分娩によるものとは断定できない。かりに、鉗子分娩により子宮破裂が生じたとしても、その施術時点で胎児を娩出させ、また母体を救命するために必要であったので、やむを得ない行為であるから、不可抗力というべきである。

6  同6は争う。

7  同7は争う。

8  同8の事実のうち、亡猛、亡富士彦及び亡滋がいずれも死亡したこと及びその死亡した日時並びに被告らとの身分関係及びその相続分は認めるが、その余は争う。

三  原告らの反論

1  子宮口の開大について

原告薫の子宮口は、亡富士彦の指示により原告薫に対し胎児圧出法を施術した際には、全開大になっていなかった。なぜなら、原告薫は昭和五四年七月一七日午後六時ころ陣痛が開始したが、子宮口が全開大となるには、陣痛開始から四ないし六時間を要するものとされているのであり、右胎児圧出法が開始された午後七時二〇分ころはもちろん、胎児が娩出した午後八時四二分ころでさえ子宮口が全開大にはなっているはずがない。また、産婦の子宮口の開大と分娩時間を検討して得られたフリードマン曲線によれば、亡富士彦が右胎児圧出法を指示した児頭が骨盤入口に固定した状態では、子宮口は全開大していない。

2  胎児の死亡について

胎児は、子宮破裂によって死亡したのであって、臍帯過捻転によって死亡したのではない。なぜなら、臍帯の一部に過捻転があると、臍帯の血行に障害をきたすことがあるが、そのことによって胎児が窒息死することはない。しかも、胎児は、体重三六六〇グラムもあったのであるから、血行障害をきたしておらず、まして窒息死をきたすような臍帯の過捻転は存在していなかったものである。

3  鉗子分娩について

亡富士彦は、鉗子分娩を行う以前に胎児が死亡していたことを知っていた。原告薫及び原告正幸は、鉗子分娩を行う以前に亡富士彦から胎児が死亡したことを告げられ、特に原告正幸は「鉗子で出すと顔が砕ける」と言われたために、胎児の顔も見ていないのである。なお、胎児圧出法により子宮破裂を生じて胎児が死亡し、そのため自然に分娩できなくなったので、鉗子により無理に胎児を娩出させようとしたため、胎児の頭蓋骨の一部が砕け、その頭部の遺骨の一部が出血の痕跡として赤茶色に変色している。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求原因1(当事者等)の事実、原告薫が吉良病院で診察を受けたところ、第二子の妊娠及びその出産予定日が昭和五四年七月一五日であることを告げられたこと並びに妊娠につき異常がなかったこと、原告薫が同年六月に入って亡富士彦の診察を受け、また同月一六日には転んで腰を打ったことから心配になって亡富士彦の診察を受けたが、いずれの診察においても胎児及び母体につき何らの異常もなかったこと、請求原因2(三)の事実、原告薫がその後浣腸及び皮下注射を受け、同年七月一七日午後三時ころ亡富士彦から病室にて一五〇シーシーのメトロイリンテルを子宮腔内に挿置したメトロイリンテル挿入法の処置を受けたこと及び原告薫には陣痛が発来しなかったこと、原告薫が同日午後五時三〇分ころ尾海婦長から分娩室にて点滴を右腕に受けたこと、原告薫に同日午後六時ころ間隔は長く軽い痛みが始まったこと及び原告薫の陣痛が同日午後六時三〇分ころその間隔が短く、痛みも強くなったこと、亡富士彦が同日午後七時三〇分ころ原告薫の分娩室を訪れたこと及び看護婦二名に対しクリステレル胎児圧出法を指示し、午後七時四〇分ころ看護婦二人が原告薫に対し右胎児圧出法を開始したこと、亡富士彦が同日午後八時三〇分ころ死児を鉗子分娩にて娩出したこと、請求原因2(一〇)の事実、原告薫が昭和五四年七月一七日亡猛との間で、原告薫の出産を介助し、適切な医療措置を講ずる旨の診療契約を締結したこと並びに亡富士彦が昭和五八年一〇月一四日死亡し、同人の妻である被告昌子が亡富士彦の債務の二分の一を、同人の実子である被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子がそれぞれ亡富士彦の債務の六分の一ずつをそれぞれ相続したこと及び亡猛が昭和五九年三月二〇日、同人の妻である亡滋が同六三年八月二〇日にそれぞれ死亡し、右両名の実子である被告昌子及び被告慧子がそれぞれ亡猛の債務の各六分の一ずつを、また亡猛及び亡滋の養子でありかつ右両名の養子であった亡富士彦の実子である被告敏彦、被告邦彦及び被告須美子がそれぞれ亡猛の債務の各九分の二ずつをそれぞれ相続したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  事実の経過

前記争いのない事実に、〈証拠〉を加えれば、以下の事実が認められ〈る〉〈証拠判断略。〉。

1  原告薫は、昭和五三年一〇月ころ第二子を妊娠し、吉良病院で亡富士彦の診察を受けたところ、第二子の妊娠及びその出産予定日が昭和五四年七月一五日であることを告げられ、その際原告薫及び胎児ともに異常は認められなかった。

原告薫は、同五四年六月六日、吉良病院を訪れて亡富士彦の診察を受けた(その際体重を計測すると七五キログラムであった。)が、原告薫及び胎児ともに異常は認められなかった。また、原告薫は、滑って臀部を打ったことから不安になり、同月一六日吉良病院で亡富士彦の診察を受けた(その際体重を計測すると七六・五キログラムであった。)が、胎児に異常はなく、その後自宅で安静にしていた。

2  原告薫は、昭和五四年七月一七日、少量の出血をみたので、午前一〇時ころ吉良病院に連絡したところ、同病院から来院を指示されたので、同日午後一時三〇分ころ吉良病院を訪れた。吉良病院では尾海幹枝(助産婦である。)が原告薫の問診及び内診したところ、原告薫の主訴では、破水及び陣痛はいずれもなく、また、原告薫の一般状態は、体温三六・七度、脈拍一分当たり九〇回、身長一五三センチメートル、体重七五キログラム、最高血圧一一四、最低血圧六〇、嘔気及び嘔吐がいずもなく、栄養及び顔色がいずれも普通で、睡眠及び食欲がいずれも良く、疼痛及び浮腫がいずれもなく、尿に蛋白が出ておらず、子宮口が一指に開大しており、さらに、胎児の状態は、心音が良好で、児先進部が頭位にあり、胎胞がなかった。尾海幹枝は、右診察の結果、原告薫の子宮口が開きかけているが、切迫した分娩状態ではなかったので、原告薫に、「すぐお産にはならないが、予定日が過ぎていることから、人工的に分娩を誘発するか、それとも自然に陣痛が来るのを待つか」と尋ねたところ、原告薫が分娩誘発を希望すると返答した。そこで、尾海婦長は、亡富士彦に対しその旨連絡したところ、亡富士彦からメトロイリーゼを実施する準備をするように指示されたので、同日午後二時ころ原告薫を入院させるとともに、メトロイリーゼの実施のための器具の準備や原告薫に浣腸及び皮下注射を行った。なお、尾海婦長がこのころ准看護婦に行わせた内診によれば、原告薫の子宮口は一・五指に開大していた。

3  亡富士彦は、メトロイリーゼを実施するため、同日午後三時ころ第二分娩室で自ら原告薫の内診を行ったところ、子宮口が一・五指に開大しており、また出血もあったということも聞いていたので、分娩が始まりかけているものと判断し、子宮口をさらに開大させるために三〇〇シーシーの水を入れた一五〇シーシーのブラウン型メトロイリンテルを原告薫の子宮腔内に挿置したメトロイリンテル挿入法の処置を行った。右メトロイリンテルは、同日午後五時ころ子宮腔から膣内に脱出し、尾海婦長が午後五時五分ころこれを確認して右メトロイリンテルを膣内から体外に脱出させたが、その際には、まだ原告薫に陣痛と感ずる疼痛は発来していなかった。亡富士彦は、同日午後五時一〇分ころ、第二分娩室において原告薫に対し内診をしたところ、原告薫の子宮口が三横指に開大していたので、娩出陣痛を発来させるため、人工破膜を行い、破水させた。

4  亡富士彦は、その後しばらく原告薫の様子を見て娩出陣痛の発来を待っていたが、陣痛が微弱であったため、尾海幹枝に対し陣痛促進剤の投与を指示した。尾海幹枝は、右指示に従い、同日午後五時三〇分ころ第二分娩室にて、原告薫に対し陣痛促進剤であるアトニンO五単位をラクテックG五〇〇シーシーに混じ、点滴により静脈に注入を開始したところ、午後六時ころは未だ間隔が長くて、痛みの軽い陣痛に止まっていたが、尾海幹枝から原告薫の分娩の介助を引継いだ越智榮(看護婦長兼助産婦であった。)が午後六時三〇分ころ内診をした際には原告薫の陣痛は、その間隔が三ないし五分と短くなり、また痛みもある程度強くなっており、原告薫の子宮口がほとんど全開大となっていた。

5  ところが、原告薫は少し気張ってはすぐ横になり、亡富士彦らの指示に従って仰臥位を保って気張るということをせず、また陣痛もそれほど強くなかったために分娩が進行しないので、亡富士彦は、同日午後七時三〇分ころ第二分娩室を訪れた際に、子宮口が全開大となっており、しかも児頭が骨盤入口に固定されていたことから、原告薫の腹圧を補助させるために胎児を腹壁外から圧出して娩出させようと企図し、越智榮が分娩を介助させるために呼んできた渡辺(旧姓松本)真千子(当時正看護婦であった。)に対し胎児圧出法の実施を指示した。渡辺真千子は、右指示に従い、同日午後七時四〇分ころから、胎児の心音を聴取しながら、寝台の右側から寝台上で仰臥している原告薫の陣痛発作により張って硬くなった腹部の一番上あたりを陣痛発作に合わせて左手でじっと押さえつけるような感じで押し始めたが、原告薫が腹部を押されると胎児が死亡してしまうと考えて腹部を押されないようにその手を振りほどこうとしたり、横を向いたりしたため、充分に押せなかった。なお、渡辺真千子は原告薫の腹部を押しているときには、異常を感じなかった。

6  亡富士彦は、同日午後八時二〇分ころ内診した際、胎児の頭位が骨盤の入口に固定して排臨に近くなったので、胎児圧出法の補助の下に吸引分娩の施術をして胎児を娩出させようと企図し、看護婦にそれを指示した。亡富士彦が胎児を吸引するとともに、渡辺真千子に代わって栗田美代子(当時准看護婦であった。)が右指示に従い右寝台に上がって原告薫の左肩横に座を占め原告薫の腹部を陣痛に合わせて子宮底に体重をかけるようにして押したところ、原告薫は、腹部を押されると胎児が死亡してしまうと思い、腹部を押さないようにその手を振りほどこうとしたり、横を向いたりし、また陣痛がそれほど強くなかったせいもあって、分娩が進行しなかった。原告薫は、右胎児圧出法の施術を受けているうちに、嘔吐をするようになった。またそれと相前後して原告薫は胎児に酸素を送るためカテーテルによる酸素吸入を受けるようになった。そして、そのころ、胎児の心音の聴取が困難となったので、亡富士彦は、このまま胎児の娩出が遷延していると生児を得ることが困難になると考えて、午後八時三五分ころ急いで排臨状態のまま鉗子分娩を施術し、同日午後八時四二分第二度の仮死状態の女児(体重三六六〇グラム)を娩出した。

7  亡富士彦は、直ちに、右女児の気道に詰まっている物を出させたり、酸素を吸入させるなどの蘇生術を試みたが、右女児は蘇生しなかった。亡富士彦は、臍帯が過度に捻転していたので、右女児がそのために右分娩中に死亡したものと診断した(胎盤は、重さ五四〇グラム、厚さ二センチメートル、形一八センチメートル×一九センチメートルで、欠損がなかった。また、臍帯は、長さが四六センチメートル、付着部位が中央で、纒絡及び真結節がなかった。)。

8  亡富士彦は、原告薫の胎盤が剥離せず、また外出血も少なかったので、様子を見ていたところ、原告薫は、その後全身がますますだるく、手足も冷たくなって息苦しくなり、同日午後九時ころ胸苦しさを訴えはじめ、午後九時三〇分ころ意識を失った。亡富士彦は、原告薫に心電図を装着するとともに内科医である高山有泰及び村瀬某を呼んだが、血圧が下がり始めて一般状態も悪化するなどショック状態となったので、輸血を開始した。しかし、同日午後一一時ころには原告薫の血圧は測定できなくなったので、さらに外科医である小野田某を呼び、午後一一時三六分ころから緊急に原告薫の開腹手術をしたところ、原告薫の子宮下部の水平方向及びその左端から上方にかけて(子宮左方部)全破裂していることが判明し、破裂した右子宮を摘出するためのポロー手術を行うとともに、大量に輸血して、原告薫の一命をとりとめた。原告薫は、右手術の際の輸血により血清肝炎となり、同年八月二日まで吉良病院に入院してその治療を受けた。

三  亡富士彦の過失ないし債務不履行について

1  原告らは、亡富士彦が原告薫に対してクリステレル胎児圧出法の施術をするにあたっては、(1)子宮口が全開大していること(子宮頸管の内径が一〇センチメートルを超えるとともに児頭が右頸管から出て直接膣内にある状態)及び胎児の先端部分が深く骨盤腔に入っているか又は排臨の状態にあることを要するにもかかわらず、亡富士彦は原告薫につき右状態にあることを確認せずに右胎児圧出法を施術したために、又は(2)右胎児圧出法の施術にあたっては暴力的に妊婦の腹部を押してはならないにもかかわらず、亡富士彦が看護婦に原告薫の腹部を急激に何回も圧迫させたために原告薫の子宮に不全破裂を生ぜしめ、胎児を死亡させたと主張し、被告らは、これに対して、(1)クリステレル胎児圧出法には、母体と胎児の状態、陣痛の発生状況及び分娩の進行状況によりその時期に応じた胎児圧出法があり、また医師、助産婦及び看護婦の体力及び腕力に応じた方法が採られ、単に触る程度のものから男性がかなり力を入れてするものまであるので、実際の分娩では子宮口が全開大で排臨の状態でなければ右胎児圧出法をしてはならないということはなく、それに近い時点で施術しても良く、それは医師の裁量の範囲内であり、(2)看護婦は原告薫の腹部を急激に何回も圧迫しておらず、胎児が死亡したのは臍帯過捻転のためであり、亡富士彦の治療行為には何らの手落ちもないと反論するので、以下この点について審究する。

(一)  クリステレル胎児圧出法について

(1) 要約違反について

〈証拠〉によれば、クリステレル胎児圧出法の要約として、子宮口が全開大していること及び先進部が排臨又は発露の状態にあることとされており、特に全開大とは子宮頸管の内径が一〇センチメートルを超えたというだけでなく、児頭が頸管から出て直接膣内にある状態をいうものとされている。

前記認定の事実によれば、渡辺真千子が昭和五四年七月一七日午後七時四〇分ころ亡富士彦の指示により原告薫の腹部を圧出し始めたときには、原告薫の子宮口は全開大となっていたものと考えられるものの、その際の胎児の頭位は骨盤入口に固定していたにすぎず、また栗田美代子が午後八時二〇分ころ亡富士彦の指示により原告薫の腹部を圧出し始めたときには、原告薫の子宮口は全開大であり、その際の胎児の頭位は排臨に近い状態であったにすぎない。したがって、渡辺真千子が原告薫に対して施術した胎児圧出法は前記の要約を満たさないものであったといわなければならず、また栗田美代子が原告薫に対して施術した胎児圧出法は、児頭が頸管から出て直接膣内にあったか否か明らかではないので、前記の要約を満たさないものであった可能性がある。

しかし、〈証拠〉によれば、クリステレル胎児圧出法とは、産婦を仰臥させて股関節と膝間接とを少し曲げ、術者は産婦の下肢の方に向かって座を占め両手の親指を子宮体の前方にあて、他の四指を子宮体の側方から後方にわたってあて、両掌を子宮底にあたるようにし、下方骨盤軸の方向に徐々に圧を加え、加える圧をしだいに強くして極点に達し、五ないし六分後には圧をしだいに緩め、遂には全く圧を去り、一ないし三分間休憩して再び同様の圧を加えることを繰り返すものであるとされており、前記要約もこのような手技を前提として規定しているものと考えられるところ、前記認定の事実のとおり渡辺真千子が原告薫に対して施術した胎児圧出法はこのようなものではなく、原告薫の腹部に原告薫が仰臥していた寝台の横から片手で圧を加えたという程度のものであることからすれば、前記要約を渡辺真千子が原告薫に対して施術した胎児圧出法に適用することは相当ではないといわなければならない。〈証拠〉によれば、胎児圧出術には、全圧出術であるクリステレル胎児圧出法の他に、胎児を骨盤入口ないし腔内に固定ないし陥入させるために用いられる部分的圧出術のうちの先進児頭圧入術などもあり、渡辺真千子が原告薫に対して施術した胎児圧出法は、その手技は先進児頭圧入術とは必ずしも一致してはいないが、その目的及び圧出の程度等からしてむしろ先進児頭圧入術に似たものというべきであり、この施術によれば前記要約が妥当しないことは明らかである。したがって、渡辺真千子が原告薫に対して施術した胎児圧出法が要約に違反したものであるとまでは認められない。

また、前記認定事実によれば、栗田美代子が原告薫に対して施術した胎児圧出法はいわゆるクリステレル胎児圧出法であると考えられるが、〈証拠〉によれば、クリステレル胎児圧出法の要約として、子宮口が全開大していること(子宮頸管の内径が一〇センチメートルを超えたというだけでなく、児頭が頸管から出て直接膣内にある状態)及び先進部が排臨又は発露の状態にあることの代わりに、子宮口が全開大していること及び胎児の先端部分が深く骨盤腔に入っているか又は排臨の状態にあることとされているにすぎず、また〈証拠〉によれば、子宮口が全開大又はそれに近い状態にあること及び児頭が骨盤腔の下部にあり、矢状縫合が少なくとも斜径に一致することとされているにすぎないことからして、クリステレル胎児圧出法を施術する際には、それが望ましいということはいえるとしても、必ず子宮口が全開大していること(子宮頸管の内径が一〇センチメートルを超えたというだけでなく、児頭が頸管から出て直接膣内にある状態)及び先進部が排臨又は発露の状態にあることを要するとまでは認めがたく、少なくとも原告薫の子宮口が全開大で、児頭が排臨に近い状態であったときにクリステレル胎児圧出法を施術すべきではないと解するのは相当ではない。したがって、栗田美代子が原告薫に対して施術したクリステレル胎児圧出法が要約に違反したものであるとまでは認められない。

なお、原告らは、渡辺真千子及び栗田美代子が原告薫に対し胎児圧出法を施術した際には、子宮口が全開大になっていなかったと主張する。そして、それは、原告薫は昭和五四年七月一七日午後六時ころ陣痛が開始したが、子宮口が全開大となるには、陣痛開始から四ないし六時間を要するものとされており、またフリードマン曲線によれば、児頭が骨盤入口から下降していない段階では子宮口は全開大していないことを理由としている。確かに、〈証拠〉によれば、開口陣痛が発来し始めてから子宮下部と子宮頸管が全開大するまでに経産婦の場合四ないし六時間を要するとされており、また経産婦のフリードマン曲線(頸管開大度曲線と児頭下降曲線)によれば、児頭が骨盤入口から下降していない段階では子宮口は全開大しておらず、せいぜい四センチメートル開大しているにすぎないこととされているが、他方、〈証拠〉によれば、分娩に要する時間は個人差が大きいとされており、右数値もほぼそのような時間であるというにすぎないから、右数値を直ちに原告薫の子宮口の開大の場合にあてはめることはできないし、またフリードマン曲線の数値を直ちにあてはめることも同様にできないというべきである。したがって、原告らの右主張は採用しえない。

(2) 暴力的な方法による胎児圧出について

〈証拠〉によれば、クリステレル胎児圧出法においては、産婦を仰臥させて股関節と膝間接とを少し曲げ、術者は産婦の下肢の方に向かって座を占め両手の親指を子宮体の前方にあて、他の四指を子宮体の側方から後方にわたってあて、両掌を子宮底にあたるようにし、胎児の長軸と母体骨盤誘導線の一致した方向に陣痛発作に合わせて徐々に圧を加え、加える圧をしだいに強くして極点に達し、陣痛発作中加圧を持続し陣痛発作が終わったら圧をしだいに緩め、遂には全く圧を去る方法を繰り返す手技を守らなければ、子宮破裂を生ぜしめる危険があり、殊に急激に加圧すると子宮破裂を生ぜしめる危険があるとされている。ところで、前記認定の事実によれば、渡辺真千子及び栗田美代子が原告薫に施術した胎児圧出法においては、おおむね右手技に沿って行われているものと認められ、右両名が右手技から著しく逸脱して乱暴に右胎児圧出法を施術したとまでは認められない。

なお、原告らは、渡辺真千子及び栗田美代子ではなく、看護婦の資格を有しない者が原告薫の腹部を乱暴に押したと主張し、原告檜垣薫本人尋問中にはこれに沿う供述部分も存するが、〈証拠〉に照らして採用しえない。

(二)  子宮不全破裂及び胎児の死亡原因について

(1) 〈証拠〉によれば、子宮破裂は鉗子手術により生じうること及び子宮破裂が生じると産婦が出血性ショックに陥ることが認められ(これに反する証拠はない。)、前記認定事実によれば、原告薫は昭和五四年七月一七日午後八時四二分ころ鉗子手術を受けて女児を娩出したこと及びその後原告薫は身体がだるくなるとともに手足が冷たくなり、息苦しさも感じるようになるなどし、右娩出から二〇分足らず経過した同日午後九時ころには胸苦しくなるなど出血性ショックとみられる症状が現われ始めていることが認められ、これらの事実に〈証拠〉を加えれば、少なくとも原告薫が鉗子手術を受けた際に原告薫の子宮が全破裂を生じたと認めることができ、これに反する証拠はない。

ところで、原告らは、クリステレル胎児圧出法により原告薫の子宮が不全破裂を生じたと主張する。確かに、〈証拠〉によれば、胎児圧出法が子宮不全破裂の原因となりうること、子宮不全破裂が生じると産婦は、破裂部に疼痛を覚え、嘔吐を催すことがあること(ただし、その程度は全破裂の場合よりも軽い。)などの事実が認められ(これに反する証拠はない。)、前記認定のとおり原告薫は、栗田美代子から胎児圧出法を受けた後に、嘔吐を催しており、また、原告檜垣薫本人尋問中には、陣痛とは異なる持続的な痛みを覚えるようになったとの供述部分が存し、これらの事実は右子宮不全破裂が生じた場合の症状と同じであり、さらに、前記認定のとおり原告薫の子宮下部に二方向の断裂があったことが認められる。

しかしながら、原告薫の子宮下部に二方向に子宮破裂が認められるが、右破裂はいずれも全破裂であって、しかもつながっていることから、鉗子分娩の際に一度に右のような破裂を生じた可能性も十分に認められること、原告薫が陣痛とは異なる持続的な痛みを覚えるようになったとの原告檜垣薫本人尋問中の供述部分は、〈証拠〉に照らして、直ちに採用しがたいこと、原告薫が嘔吐を催したことから直ちに子宮不全破裂を生じていたとまでは認めることはできないこと、また、〈証拠〉によれば子宮不全破裂を生じると破裂部位からの胎児部分の膨隆を外診により認めうるとされているところ、そのような事実を窺わせる証拠がないこと、さらに、これらの事情に〈証拠〉を加えれば、原告薫が胎児圧出法により子宮不全破裂を生ぜしめられたとまではいまだ認めることはできないというべきである。

(2) 原告らは、胎児が原告薫に生じた子宮不全破裂により死亡したと主張し、被告らは、これに対して臍帯過捻転により死亡したと反論する。しかしながら、原告薫に子宮不全破裂が生じたとまでは認定しえないことは前記説示のとおりであるから、子宮不全破裂により胎児が死亡したと認めることはできない。また、〈証拠〉によれば、臍帯の捻転が起こると、臍血管が狭窄されて胎児が死亡することがあるとされてはいるものの、他方、〈証拠〉によれば、流産児に起った過度の捻転の多くは胎児の死後に起ったものであるとされており、〈証拠〉によれば、胎児が循環不全等により酸素欠乏状態に陥って子宮内で激しく動くために臍帯が過度に捻転することが考えられるから、胎児の臍帯が過度に捻転していたとしても、それが原因となって胎児が死亡したものとは必ずしも考えられないことに照らせば、臍帯過捻転により胎児が死亡したと断定することはできない。結局、原告ら及び被告らの主張はいずれも採用しえない。

ところで、〈証拠〉によれば、胎児が酸素の欠乏により低酸素状態に陥る原因としては、胎盤機能不全、胎盤部分早期剥離、臍帯卵膜付着、糖尿病、妊娠貧血、心疾患及び腎炎など諸種の要因が考えられることが認められる。そして、〈証拠〉によれば、原告薫が妊娠中毒症に罹患した結果妊娠後期に胎盤機能不全をきたし、子宮収縮による血流量の減少により胎児が窒息死したものと考えるのが最も妥当であるとしている。しかし、〈証拠〉によれば、後期妊娠中毒症の主症状は浮腫、尿蛋白、高血圧(最高血圧一四〇、最低血圧九〇が正常妊娠と妊娠中毒の境界線である。)、脳・神経症状、痙攣などであるとされているところ、原告薫が昭和五四年七月一七日吉良病院に入院した際の診察においては、最高血圧一一四、最低血圧六〇、浮腫がなく、尿に蛋白が出ていなかったというのであるから、右妊娠中毒症の主症状はいずれも認められず、したがって妊娠中毒症により原告薫が胎盤機能不全にあったということはできず、胎盤機能不全を原因とする子宮収縮による血流量の減少により胎児が窒息死したとの見解は採用しえない。

結局、胎児の死亡原因としては、前記のとおり諸種のものが考えられるが、それらのうちのいずれが本件の胎児の死亡原因として認めるべきかは、原告薫の分娩前の診察が少ないために右死亡原因を認定するための情報が殆ど得られないこともあって、認定判断することができないものといわざるを得ない。

2  鉗子分娩術について

(一)  原告らは、子宮不全破裂の状態にある原告薫に対して鉗子分娩術を施こしてはならず、かりに胎児圧出法により原告薫の子宮が不全破裂を起こしていなかったとしても、子宮切迫破裂の状態にはあったのだから、そのような原告薫に対して鉗子分娩をしてはならないにもかかわらず、亡富士彦が原告薫に対し胎児圧出法及び鉗子分娩をそれぞれ施術したと主張し、被告らは、亡富士彦は胎児心音聴取不能となり、一刻も早く胎児を娩出させないと胎児の生命に危険があると診察されたから原告薫に対し鉗子分娩を施術したのであり、また母体を救命しまた早く楽にするために死児を鉗子により娩出させることも医師の裁量として許されると反論するので、以下この点について審究する。

(1) 原告薫の子宮が胎児圧出法により子宮不全破裂を起こしたとまでは認めることができないことは前記認定のとおりである。そして、鉗子分娩術を行うまでに原告薫の子宮が子宮不全破裂を起こしたことを窺せる他に特段の事情もない本件においては、亡富士彦が原告薫に対し鉗子分娩術を施す際に原告薫が子宮不全破裂を起こしていたことを認めることはできないから、子宮不全破裂のあることを前提として亡富士彦の過失ないし債務不履行を主張する原告らの主張は採用しえない。

(2) 〈証拠〉によれば、子宮切迫破裂とは子宮破裂の前駆症状ともいうべき状態であって、その症状としては、強烈な陣痛が頻々として反復し、過強陣痛となり、間歇時にも疼痛が緩解せず、ついに痙攣陣痛を起こすが、分娩は進行しないこと、脈拍頻数、呼吸促迫等があり、産婦は著しく不安状態となり、自制心を失って医師の言を聞かぬようになり、下腹部に持続的に疼痛を訴えること、子宮体部と下部との境界に発生する収縮輪が上昇を続け、ついに臍高に達すること、児心音の多くは聴取しがたくなることなどが発現するものとされていることが認められる(これに反する証拠はない)。前記認定のとおり原告薫の分娩は排臨近くになってからあまり進行しておらず、原告薫は著しい不安状態に陥り、医師亡富士彦の指示に従わず、胎児の心音が聴取不能となったことが認められ、これらの事実が子宮切迫破裂の症状にあてはまるということがいえるとしても、その他の子宮切迫破裂の特徴的な症状である過強陣痛や痙攣陣痛、脈拍頻数や呼吸促迫、収縮輪の上昇といった徴候が原告薫に発現していたことを窺わせる証拠はなく(陣痛については、過強陣痛や痙攣陣痛というよりも、むしろ終始微弱陣痛に止ったことが認められる。)、前記のとおり原告檜垣薫本人尋問中には陣痛とは異なる持続的な痛みを感じたとの供述部分が存するが、これが採用しえないことは前記説示のとおりである。したがって、原告薫が子宮切迫破裂の状態にあったとまで認めることはできないといわざるを得ず、この状態にあったことを前提として亡富士彦の過失ないし債務不履行を主張する原告らの主張もまた理由がない。

なお、〈証拠〉には、原告薫の子宮には前回の分娩のときに子宮筋断裂による脆弱な部分ができていたか、あるいは人工妊娠中絶のときの外傷が原因となり、陣痛により子宮下部が伸展されて、破裂切迫状態となったときに、鉗子手術による外力が加わって子宮破裂を起こしたとしており、また〈証拠〉には、原告薫が腹部の異常な痛みを覚えていること、嘔吐を催していたこと及びいきみにくかったことなどから原告薫の子宮は切迫破裂の状態にあったとしている。しかしながら、原告薫の子宮に子宮筋断裂や外傷があったことを認めるに足る証拠はなく、また〈証拠〉に挙げられた子宮切迫破裂の理由からして原告薫が子宮切迫破裂であった可能性を推測することはできるとしても、更に進んで原告薫が子宮切迫破裂の状態にあったと断定することができないことは前記説示したとおりである。

(二)  原告らは、胎児が死亡しているときには鉗子分娩をしてはならないにもかかわらず、亡富士彦は原告薫に対し死亡した胎児を鉗子分娩の方法により暴力的に娩出させたため、子宮に全破裂を生ぜしめ、原告薫が大量に輸血を受けざるをえなくなって血清肝炎に罹患させたと主張し、被告らは、これに対し、亡富士彦は胎児心音が聴取不能となったので、一刻も早く胎児を娩出させないと胎児の生命に危険があると診察されたから原告薫に対し鉗子分娩を施術したのであり、また母体を救命し、また早く楽にするために死児を鉗子により娩出させることも医師の裁量として許され、原告薫の子宮破裂による出血性ショックには大量の輸血が必要であり、右輸血は原告薫の救命のためにはやむを得ない量であって、術後血清肝炎予防のグロブリンも注射しているから、亡富士彦の診療行為は極めて適切であったと反論する。

(1) 要約違反について

〈証拠〉によれば、鉗子分裂は分娩第二期が遷延するなどして母体又は胎児の生命に危険が切迫して急速に遂娩を要する場合に、産科鉗子で主として児頭を挾んで娩出させる手術であり、その要約の一つとして胎児が成熟又はそれに近い状態で生きていることがあげられており、また鉗子手術に際しては胎児に分娩損傷を生ぜしめないよう、また母体の軟産道に損傷を生ぜしめないように慎重に行われなければならないものとされている。

前記認定事実によれば、昭和五四年七月一七日午後八時二〇分ころ吸引分娩をクリステレル胎児圧出法と合わせて施術したところ、胎児の心音が聴取困難となったため、午後八時三五分ころ鉗子分娩を行い、午後八時四二分ころ第二度の仮死で女児を娩出し、蘇生術を試みたが、蘇生しなかったというのであるから、結局、胎児は午後八時二〇分ころから娩出された四二分ころまでの間に死亡したものと考えるのが相当である。したがって、亡富士彦が胎児を娩出させるために鉗子分娩を施術したときには、胎児が既に死亡していて、右要約に違反しているのではないかとの疑問もないわけではないが、右施術は胎児心音の聴取困難となった直後に行われたものであって、胎児は蘇生する可能性があり死亡していたものと断じがたいこと、〈証拠〉によれば、鉗子分娩は胎児切迫仮死の場合に適応があると認められることに〈証拠〉をも考え併せると、右施術が前掲の要約に違反しているとはいえないものと解される。なお、前記認定事実及び〈証拠〉によれば、亡富士彦は胎児が死亡していたとの確信には至っておらず、未だ胎児仮死の状態にあり早期に娩出すれば蘇生する可能性があったと考えていたことが認められ、胎児は完全に死亡していたわけではなく、仮死状態に陥ってから亡富士彦が鉗子分娩を施術するまでせいぜい一〇分程度しか経過していないのであるから、亡富士彦がそのように考えることも無理からぬことであると解されること、〈証拠〉によれば、帝王切開を行うには準備に相当程度の時間を要するものと考えられたことが認められるから、亡富士彦が帝王切開を選択せずに鉗子分娩の方法によったこともやむを得ないと解されることなどからすれば、亡富士彦が仮に右要約に違反しているとしても、原告薫に対し鉗子分娩を施術したことは、やむを得なかったというべきである。

原告らは、亡富士彦が鉗子分娩を施術する前に、胎児が死亡していたことを知っていたとし、その理由として、亡富士彦が右施術前に原告らに対し胎児が死亡したこと及び亡富士彦が胎児の頭蓋骨を鉗子により砕いていると主張し、〈証拠〉中にはこれに沿う供述部分が存し、また〈証拠〉の写真には頭蓋骨の骨片と思われる部分が赤くなっている。しかし、前記認定のとおり亡富士彦が女児娩出後蘇生術を試みていること及び胎児の心音が聴取困難となってから亡富士彦が鉗子分娩を実施するまでの時間が短いことなどから、〈証拠〉は採用しえず、また〈証拠〉によれば、生前に血痕が付着していない頭蓋骨を火葬に付した場合に血液が集まって茶色になることがあるとの事実が認められること(これに反する証拠はない。)から〈証拠〉の写真から胎児の頭蓋骨が砕けていたとまでは認められないので、原告らの右主張は採用しえない。

(2) 手技について

原告らは、亡富士彦が原告薫に対し乱暴に鉗子分娩を施術したとし、その理由として、胎児の頭蓋骨が鉗子により砕かれていると主張し、〈証拠〉中にはこれに沿う供述部分が存し、また〈証拠〉の写真には頭蓋骨の骨片と思われる部分が赤くなっている。しかし、右〈証拠〉が採用しえないこと及び〈証拠〉の写真から直ちに胎児の頭蓋骨が砕けていたとまでは認められないことは前記のとおりであり、その他に原告らの右主張を認めるにたる証拠もないから、原告らの右主張は採用しえない。

(三)  なお、原告薫の子宮破裂は前記認定のとおり鉗子手術によって生じたものであると認められるが、子宮切迫破裂や要約違反等がなかったことは右に説示したとおりであり、他に右手術の選択及び施行について本件全証拠によっても亡富士彦に帰責されるべき事由が存するものとは認められない。したがって、鉗子分娩により原告薫の子宮が破裂したことにつき、亡富士彦に過失ないし債務不履行を認めることはできない。

3  したがって、原告らの主張する亡富士彦の過失ないし債務不履行はいずれも認めることはできない。

四  亡猛の使用者責任及び債務不履行責任は、その被傭者であり、かつ履行補助者である亡富士彦の過失ないし債務不履行が前記のとおり認められないから、いずれも認めることはできない。

五  以上のとおりであって、本訴請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八束和廣 裁判官 高林 龍 裁判官 牧 賢二)

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